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ニュース・トピックス

秋田県立美術館とエリアなかいち

11月22日から、親戚の用事で秋田に行く機会があり、9月28日にオープンした秋田県立美術館に立ち寄りました。建築家安藤忠雄設計による当美術館は、壁の支えや柱のない螺旋階段、水庭越しに千秋公園の美しい風景を臨めるラウンジ空間など特色のある新しい県立美術館です。 展示は公益財団法人平野政吉美術財団の収蔵する「藤田嗣治(レオナール=ツグハル・フジタ)の作品が中心。
 この日夕方16時過ぎに入館しましたが、秋田魁新報に翌日の13時過ぎに入館した高校生が5万人目の入館者となった記事が載りました。
 2階の展示スペースに張り出されている大壁画「秋田の行事」は、縦3.65M 横20.50M、昭和12年当時の秋田の暮らしと年中行事が描かれています。秋田の資産家平野政吉により、秋田に招かれた藤田が土蔵でわずか15日間で書き上げられました。当時の写真も展示されていました。
 「エリアなかいち」は中通一丁目にある秋田赤十字病院の移転跡地に、芸術や文化交流の拠点として建設された複合施設を含むエリアの総称。

JR秋田駅改札口のポスター。吉永小百合が、藤田嗣治の「秋田の行事」を観ている。

螺旋階段で2階へ。

2階ラウンジ。ここまでは入場自由。

ラウンジ水庭越しの千秋公園

2階展示室入口で、入場料300円を支払い、大壁画「秋田の行事」をじっくり観て自分の子供頃の記憶と重なりました。この壁画が描かれたのは昭和12年ですが、それから20年ほど経た私の子供のころの記憶にある行事や人々の服装などほとんど変わってはいませんでした。
 3階デッキから、吹き抜けになっている2階の壁画全体を見渡せました。展示品は全て写真撮影禁止となっていました。

美術館前にある「にぎわい広場」のイルミネーション

ライトアップされた与次郎。

広小路。秋田駅方向、左が千秋公園。


赤川 均


「新屋vs土崎大綱引き大会」

百三段(ももさだ)新屋会からお礼がありました。 新屋郷土会は10月13日に土崎衆とぶつかり合った大綱引きへの応援をしました。 結果は子供綱引きは引き分け、女性対決は勝ちましたが、本番の男綱引きは負けてしまったようです。 負け惜しみでしょうけど、女性は勝ったよ!と言ってます。


工藤宣雄

「秋田市政情報交換会」

10月24日 秋田市政情報交換会がアルカディア市ヶ谷で開催されました。
参加者約200名。郷土会からは6名の出席でした。

ダリヤ「ナマハゲ」

穂積市長を囲んで


工藤宣雄

「新屋vs土崎大綱引き大会」

10月13日4年ぶり3回目の大綱引きが行われます。
場所は ポートタワー・セリオン 午後二時からです。
土崎の港商友会の50周年記念事業のメインイベント。 一回目は新屋が三勝して圧勝。二回目は土崎の二勝一敗。
 百三段新屋会の成田会長は「先の対決で温情をかけすぎた。地域の名誉とプライドを懸け、熱き血潮をぶつけようではないか。」と果たし状をぶっつけた。


工藤宣雄

「秋田市政情報交換会開催」のお知らせ

新屋郷土会員は、9月25日まで事務局 工藤宣雄 まで連絡ください。


工藤宣雄

千秋公園のハス

7月末秋田に用事があり帰省しました。 この頃、東北地方はまだ梅雨明けが発表されておらず、事前に親戚の情報から雨天を予想していましたが、3日間の秋田滞在中はほとんど雨にあたらず時折り日も射すこともありました。
 竿灯を間近に控え広小路ののぼり旗や、提灯飾りなどを見かけると夏祭り気分が盛り上がってきました。 お堀のハスが咲いておりました。

赤川 均

千秋公園のハス




秋田市政情報交換会の日程

新屋郷土会会員の皆様


秋田市政情報交換会の日程が決まりました。

穂積市長から「秋田市の今」について報告があります。
例年11月半ばころの開催でしたが今年は早くなります。
皆様のご参加をお願いします。

     記

日時 平成25年10月24日(木) 18:30〜21:00
場所 アルカディア市ヶ谷 富士 千代田区九段北4-2-25
詳細は別途連絡します。
                             新屋郷土会事務局 工藤宣雄

平成25年度暑気払い会

新屋郷土会会員各位

                           新屋郷土会会長代行  伊藤進

「新屋郷土会 平成25年度暑気払い会」開催のご案内

 入梅は早々と発表されたものの雨の少ない日が続いていました。 このところの雨でようやく季節を実感させられるこの頃です。
 皆様にはお元気でお過ごしのことと思います。

 さて、新屋郷土会行事の一環としての「平成25年度暑気払いの会」を開催いたしたくご案内申し上げます。
今年一月の総会以来の会合です。いろいろな話で盛り上がり暑さを吹き飛ばしていただきたいと思いますので皆様大勢のご参加をお待ちしております。


開催要領

1. とき  ; 平成25年7月27日(土) 12:00 〜14:00

2. ところ ; レストラン「欧風ダイニング ポールスター」
       都内千代田区丸の内一丁目4番5号 三菱UFJ信託銀行
       本店ビル地下一階サンクスガーデン前
       Tel 03-3217-7411
       * JR東京駅丸の内北口
       * 地下鉄 丸ノ内線、千代田線、東西線、半蔵門線、都営三田線の大手町駅

3. 会 費 ; 6000円 (当日ご持参下さい)
       *出欠は同封の返信用ハガキにて7月17日まで返送ください。

                                        以上

                            平成25年6月15日

                             新屋郷土会事務局 工藤宣雄

防衛省見学会(市ヶ谷台ツアー)

■けやき会、「防衛省見学会(市ヶ谷台ツアー)」を挙行

6月5日、「防衛省見学会(市ヶ谷台ツアー)」が梅雨入りの空模様とは思えないカンカン照りの午後、29名の会員が参加して行われ内、新屋郷土会からは一組のご夫妻と四名計六人の参加でした。

事務局より




スーパーこまちと新秋田県立美術館

秋田に用事があり、秋田までは一日4往復で今年の3月から運行を始めた「スーパーこまち」の予約がとれました。 スーパーこまちのデザインは、「フェラーリ」のデザイナーとして知られる奥山清行が監修した、というだけあって流れるような美しい曲線。車内も随所に秋田にちなんだ模様など目立ちました。 あかね色の車体は秋田の伝統行事「なまはげ」や夏祭りの「竿灯」をイメージしたとのこと。なまはげの赤鬼は赤いが、竿灯とあかね色は結びつかないと思いましたが、理屈抜きにあかね色の車体は斬新でした。 客車のドアには稲穂の模様が入っており中に入ると黄色のシートが秋の田んぼのイメージ。最も新しいE6系ということで時速300キロの乗り心地もよかったです。

 翌日の夕方、9月に本オープン予定の新秋田県立美術館を訪問。昨年から工事が始まり今年の6月に完成予定。その後現在千秋公園にある美術館から作品を移し、本オープンは今年の9月28日。現在は暫定オープンで内部が無料で見学出来ました。
1階の入口から入ると、螺旋階段があり2階へと導かれ、2階には水庭のミュージアムラウンジがあり、窓いっぱいに広がった広小路越しの千秋公園が見渡せました。
3階ギャラリーでは、秋田県立美術館竣工記念展「安藤忠雄の美術館−秋田県立美術館完成までのプロセス−」が開かれており、安藤忠雄設計による、当美術館の詳細な紹介とともに、国内外の建造物模型や写真が展示されていました。
9月の本オープンが楽しみです。

赤川 均

スーパーこまち(東京駅)

新秋田県立美術館に隣接するエリアが公募により「エリアなかいち」と名付けられました。マスコットキャラクター「与次郎」の像。千秋公園内の与次郎稲荷神社(輿次郎稲荷神社)に祀られている狐を図案化したもの。与次郎のひげが何者かに切られ、テレビで全国二ュースにもなりました。マスクで隠し応急処置。

美術館2階水庭のラウンジより千秋公園を臨む。

冬期は水を抜き雪景色にするという。




秋田の写真

4月9〜11日、急用あって秋田へ行きました。 かなり寒い日々でした。 サクラはまだ蕾も固くこれで三年連続花には会えず残念です。 それでも市民市場には山菜が出ており、ほろ苦い味を思い出させてくれていました。 鳥海山は雪が深そうで今年の冬の厳しさをうかがわせていました。

工藤宣雄




「残念な結果」(日新小学校ミニバスケット試合)

日新小ミニバスケットティームは残念ながらベスト8には残れませんでした。 千葉県と対戦したものの力が及ばなかったようです。
でも、リーグ戦の二勝はふるさと応援団にとっては貴重な白星応援になりました。
頑張りに拍手です。

工藤宣雄

秋田県 vs 千葉県 (赤のユニフォームが日新・JBAサイトより)



(JBAサイトより)



「応援に行こうヨ!」日新小学校ミニバスケット試合

新屋郷土会各位

皆様
日新小学校ミニバスケットのチームが県代表として全国大会に参加することはすでにお耳に達しているかと思います。 大会の日程が決まり、全国制覇を狙います。

秋田ふるさと応援団も応援に馳せ参じる予定となっています。 ナマハゲは無理かもしれませんが・・ 新屋出身のわれわれとしても負けてはおられません。
月末近くでご多忙とは思いますが日程に折り合いをつけて応援に参加してください。

予選は高知と茨城と日新(秋田)の3県でリーグ一位を争い、トップが準決勝へ駒を進めます。
 3/28(木)  国立代々木競技場第一体育館 Bコート
           日新VS高知 11時35分試合開始
 3/29(金)   同第二体育館 Fコート
           日新VS茨城 11時40分開始

ふるさと応援団は28日10時半 第一入り口集合します。 会場内ではふるさと応援団の横断幕が目当てです。 集合時間には間に合わなくても横断幕が派手ですから目に付きます。 是非参加してください。

また、詳しいことはミニバスケット全国大会HPをご覧ください。

ミニバスケット全国大会HP


工藤宣雄


「第11回あらや大川散歩道 雪まつり」のお知らせ


「第38回(平成25年度)新屋郷土会新春懇親会及び総会」の報告

古里秋田地方では大雪に見舞われて大変だというのに、こちら首都圏は好天に恵まれて、出席者が約80名を数えまして盛大にとり行われました。
 古里新屋町からは、石井周悦様(秋田市副市長)、藤澤浩様(新屋振興会会長)、赤坂光一様(秋田市議会議員)、高橋伸様(新屋振興会理事)、鈴木光様(秋田市東京事務所所長)の出席を賜りました事に厚く感謝申し上げます。

 当日の会場の雰囲気を写真で掲載しておきます。

赤坂 和紀




新屋郷土会会長 高橋陽之助による開会挨拶〜その1

新屋郷土会会長 高橋陽之助による開会挨拶〜その2

秋田市副市長 石井周悦様からの挨拶

新屋振興会会長 藤澤浩様からの挨拶

作家 今村友紀様(石井周悦様の御子息)からの挨拶

薬学博士 佐藤哲男様による講演

秋田市議会議員 赤坂光一様による乾杯

会場風景

「森川翁」と「郷土会の皆様へ」


新屋郷土会 会員各位

先日の新屋郷土会でご披露しましたが、改めてお届けします。 ゆっくりご覧ください。

工藤宣雄


「老農森川源三郎翁と私」 

                                       佐藤 哲男 

最近、秋田県内各所において「森川源三郎展示会」が開かれています。森川源三郎は私の母方の曾祖父にあたります。源三郎は石川理紀之助、齋藤宇一郎とともに秋田県の「農業三大人」と称されています。質素で勤勉、そして農民の生活向上のため、ひたすら実直で利他的に明治・大正期を生きた人です。

源三郎は、1845年(弘化2年)、河辺郡新屋町百三段新屋字黄金谷(現在の新屋表町)に秋田藩士の九代目森川又五郎の長男として生まれました。武士として文武の修行に励みながらも、若いころから農業を志していたようです。 時代が明治となり、24歳で戊辰戦争に出兵。35歳の時に秋田県庁の勧業係に奉職し、ここで同じ職場にいた石川理紀之介を知り、両人は協力して秋田の農業の発展に尽くしました。中でも特筆すべきは、秋田県種苗交換会の発足、発展、継承に関する功績です。第一回交換会は明治11年(1878年)に秋田県の主催で秋田市内の浄願寺において開催されました。それ以後今日まで130年にわたって連綿と続けられています。

源三郎が勤務した県の植物試験場では、最初は、食用菊について研究し、いろんな工夫や努力を重ねて、一般に売りだされることができました。その後、大豆、麦類など農作物の品種改良や栽培方法の工夫・研究を熱心に行い、その成果を惜しみなく人々に広めました。明治18年、秋田では農作物の出来が悪く、多くの人が生活に困っていました。
 源三郎は、ジャガイモを作る事を呼びかけ、作り方を書いた本を村民達に配り、よい成績を納めました。そのほか、リンゴ、スモモ、アンズ、ウメなどの果樹の栽培を奨励し、ナスの作り方や料理法を研究して人々に勧めました。また、当時まだ知られていなかった白玉粉やデンプンの製造を始めました。また、麺類や氷どうふを作り人々に教えました。さらに、疲弊しているにもかかわらず、生活ぶりがぜいたくになっていく農村の状況を憂え、凶作や不作に備えて緊急時のために日頃から貯金の大切さを訴えました。このことは、各地に郵便貯金組合、稲作講などが創設されるきっかけになりました。

源三郎は第一級の農業指導者としてさまざまな活動を行い、県内外の農業発展に尽力しました。58歳のとき、石川翁とともに九州の農民指導に赴き、農会組織運動にも努力しました。その後、川辺郡農会長、秋田県農会長などの公職を務めました。61歳になったときに、3000坪の宅地や畑を含むすべての家督を長男の元直(もとなお)に譲り、上北手古野の二見山に六畳一間に押し入れと土間のついた粗末な「余楽庵」を自分で建てて住み、山居生活を送りました。余楽庵での生活は非常に質素なもので、農具、生活道具などは修理して長く使い、廃物を利用して自作の道具を作るなど、「天下に廃物なし」が日常のモットーでした。今でいうエコやリサイクルの原点ともいうべきものです。また、山に植林し、公園の様にして人々に親しんでもらい、ここで作った杉の苗6700本を近くの村の人々に寄付して植えさせました。

生涯の友であった石川理紀之介は大正四年に71歳でその生涯を閉じました。 その後、源三郎は大正14年に胃腸を患ったため余楽庵を引き払って新屋の本宅に帰り、1926年(大正15年)、82歳で亡なリました。
 源三郎は遺訓として「三心」という言葉を遺しました。三心は「発心」「決心」「相続心」の三つ。「物事を思い立って行おうと決めることも大事だが、それ以上に続けていくことが大切である」。「相続」は「持続」を意味します。これらの三心の生き方は源三郎の人生そのものを表す言葉と言えます。「余楽庵」は源三郎の死後森川家の敷地内に移築し、その後秋田市に寄付されました。建物は現在でも原型のまま保存会により管理されており、一般の方々も見学することができます。

森川家の敷地内には源三郎がかつて植えた四季の果物の木がその後もすくすくと育っていました。私は幼稚園や小学生の頃に母に連れられて新屋へ行くのが子供心に大きな楽しみでした。
 当時、母の父(私の祖父)の森川元直は長年務めた新屋町の町長を引退し、孫と会うのを楽しみにしていました。私の母は9人姉妹ですので、その子供、つまり私のいとこは30人もいます。県内の彫刻家の伊藤紘美はその中の一人です。いとこの中で当時秋田市内に住んでいたのは私の家族だけだったので、母と一緒に森川をたびたび訪れました。元直おじいさんはいつでも囲炉裏端に座っていて、「テツ坊よぐきたな」と言ってかわいがってもらいました。70年以上前のことですが今でも鮮明に憶えています。
 我が家の床の間には、源三郎(本名、元貞)の直筆による掛け軸が掛けられています。「埋火のもとにしたしむ老の身もとしのくるるを惜しむ今日哉」(大正11年歳暮作)。源三郎は森川家の菩提寺である新屋の忠専寺に眠っています。            





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