先に既報済ですが日新小学校の増改築が令和6年度完成予定で計画が進行中のところそれへの関連記事の提供がありましたので 照会します。
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(1) 秋田市市政情報交換会に出席
11月9日秋田市応援団のけやき会主催による在京秋田市市政情報交換会が恒例会場であるアルカディア市ヶ谷にてコロナ
禍から3年ぶりに開催されました。
出席者100名程久しぶりに穂積秋田市長本人のスライド投影での市政報告に聴き入っていました。 当新屋郷土会では大塚会長はじめ10名の出席です。
第二部として来賓を代表してあの元オリンピックスイマー長崎宏子氏の挨拶がありその後秋田市議会議長岩谷政良氏の乾杯音頭で懇親会となり穂積市長を交えての写真撮影などで 楽しい交流の時間をすごしました。
(2)スポーツ・文化 秋田応援の集いに出席
12月4日NPO法人秋田ふるさと応援団(理事長三平俊悦氏)の主催のよるスポーツ・文化の秋田応援の集いの会が四ツ谷駅近郊のスクワール麹町会館で開催されました。
出席者180名程の賑わい。当新屋郷土会からは6名が出席。
講演はテレビでお馴染みの橋本五郎氏で「これからの日本どうなる!」と題しての熱弁でした。
講演後は懇親会となり秋田の代表的な各種民謡や踊りの披露があり加えてギター・フルート・クラリネット演奏等が懇親 会を盛り上げました。続いて今夏秋田が豪雨で甚大な災害を受けそれへの支援としてのチャリティーオークシヨンも活況の模様です。
サプライズは俳優の高橋克典氏が突然の参加です。会場はびっくりで大騒ぎ一斉にカメラフラッシュの連続。彼の父親が鷹巣でその関係からのようです。
フィナーレは秋田ふるさと応援団団歌を合唱して13:00からの開会から17;00に閉会となりました。
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「新屋のアスリートたち」第14話はサッカーで日本代表、そして主将を務めた「藤島信雄」氏の物語である。
この連載コラム今回は2部構成となっていてその前編です。
コラム筆者曰く「人生は糾える縄の如し」で高校まで無名の氏のサッカー人生が思わぬ方向で回転し始めたようです。
後編が待たれますね。
( 記事提供:秋田市新屋振興会発行「あらや衆報」令和4年8月1日号より抜粋 )
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1). 大川端帯状近隣公園の桜開花模様
新屋駅前から西中学校方面への桜並木です。
今年もソメイヨシノが見事です!
2). 日新小学校増改築事業予定
新校舎(新体育館)は隣接地を購入しての新設です。
学校敷地が拡大します。完成が待たれますね。
3).「余楽庵」改修事業予定
改修後は茶会の開催なんてできるのかな~?
4).「余楽庵」への略図
日吉神社横のあの坂道の途中ですね。
あきたタウン情報誌に掲載されている秋田市写真家 桜庭文男氏の写真紀行を、本人了承のもと秋田ふるさと応援団のホーム・ページに掲載させてもらっています。 桜庭氏は秋田工業高校卒業で地元秋田市で写真家として活動しています。今回は「あらやさくら公園」について書かれていましたので紹介します。
提供: 秋田ふるさと応援団理事長 三平俊悦 (掲載:赤川)
新屋地区一帯は源頼朝が鎌倉幕府を開く頃は「ももさだ=毛々左田」そして幕府開設後は「ももさだ=百三段」。その百三段の郷に地頭職として橘 公業が 赴任これが初代領主として以後は小野氏、最上氏、そして佐竹氏と領主が変遷したがそこの住民は抜かりなく町の繁栄に力を傾注してきた。
その精神的支柱は進取の気風であろうと筆者は記している。 もしかしたらこの先人の気風が新屋衆の心意気の源泉であろうか。 更に文中では日吉神社、忠専寺、天龍寺の経歴が記されていて興味深い内容である。 それにしても「毛々左田」「百三段」なる名称の語源はどこからきたのだろうか・・・?
記事:令和4年2月1日付 秋田さきがけ新聞より抜粋
記事提供:当会顧問 渡邉茂夫氏
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中学校を卒業するまでラグビー競技を知らなかった少年が高校、大学と日本一。そして社会人でも7人制ラグビーで日本一。氏のラグビーへの情熱はこれに満足することなく「ジュニアラグビースクール」を立ち上げ校長を歴任。将来の紳士たるラガーマンの育成に現在も尽力している。
特筆すべきはご子息も遺伝子を受け継ぎ同高校で日本一を達成。親子共に至福の瞬間でもあっただろう。
尚、氏は当新屋郷土会の前会長(7代目)で現在は顧問としてラグビーの情熱のみならず郷土愛へも情熱あるこわーい!?ご意見番でもある。
(記事提供:秋田市新屋振興会発行「あらや衆報」令和4年1月1日号より抜粋)
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